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SHIHOさんの所でラリーズカンパニーさんの話をみた後に、
uchibenkei worldのniji-koさんが記事を書いている 奥山貴宏さん(32歳ガン漂流 エヴォリューション)を知る。 上記のサイトさんをできたら、見ていただけたらと思います。 命について考えさせられ、 それと共に、痛い記憶が蘇った。 私のアトピーが最悪な状況の時に 私と同い年で一日違いの誕生日の女性と従兄弟が結婚した。 幸せ絶頂の彼女と、死のうと思い詰めていた自分を比較し嗤った。 半年後、私は良好に向かい、 彼女は、月経が止まり病院へ行き、子宮ガンが判明した。 子宮全摘出、胃は2/3摘出。余命10ヶ月と宣告されたのだ。 そんな時に、祖母の見舞いで岡山へ帰省し、従兄弟が言った。 『あなたは女性の髪の抜けることの悲しさを分かっている。 よかったら彼女と話をしてほしい』と。 抗がん剤で抜け落ちる髪と アトピーのストレスでの円形脱毛&掻きむしりによる脱毛。 言葉に詰まった。 私にも医者に治して下さいと懇願し、困った顔で絶句されたことがあるが彼女の場合とは違う。 同じ“不治の病”ではあるが、違う。 どうなるのだろうどこまで悪くなるのだろうという恐怖はあっても、私の病に死は待っていなかった。 ある日突然アトピーになり、坂道を転がるように半年で悪化した。 アトピー治療で有名な先生に『僕の診ている患者であなたが一番悪い』と言われ、痒くてじっと待つ事が苦痛だろうと待ち時間のないように、人目を気にしないように、外来時間外に特別に時間を取って診ていただくようになった。 人と会う度に「どうしたの!かわいそうに。頑張ってね」と言われ、その言葉が嫌いだった。 顔では笑ってありがとうといいつつも、その裏に『あぁ私じゃなくってよかった』という言葉がある気がして素直にとれず、同情だけじゃなくて治してよ!と心の中で思っていた。 私はどこまでも嘆いていた。墜ちていたのだ。 人と会う事が苦痛だった。 自分の状況は自分が一番わかってるのに、 今日はヒドイねとか良いねとか言われるのも嫌だった。 そのころサプリメントによる体質改善でのアトピー治療の為に初めて会った人に、自嘲気味に『私、女、捨てましたから』と言ったらしい。とてもショックな言葉だったと、後に言われた。 私がアレルギーであるなら、私が将来生む子供もアレルギーの可能性は高い。 痒さに耐えきれず2時間でも半日でも半狂乱で自分の顔を叩き続ける私を止めながら、一度だけ母が『自分が代われるのなら代わってあげたい。見ているだけしかできないのが辛い』と涙をこぼした。 気持ちは分かった。もしも子供がなったらかわいそうだと思った。 まして、真っ赤に腫れ上がり血や黄色い汁がぽたぽたと止まらない状況ではまともな社会生活も送れず、とても結婚などできそうにもなかった。 全ての飾ることを諦めなければならなかった。 本当は、私、女、諦めましたから。でも、言えなかった。 私が捨ててやったのっ!とでも言わなければ泣きそうで。強がりも必要だった。 心も病んでいた。 彼女が結婚したのはそんな時期だった。 私は心から祝えなかったのだ。 一番ひどかった時期は写真を撮る事を拒絶。かなり症状が良くなり眉も生え、服も着ていられるようになり、治る希望が見えた頃。肌に滑らかさは皆無。 上の写真の一ヶ月後。上の写真ではフラッシュでとんでいるが、この写真より悪い症状。ようやく人目を気にせず外出できるようになった頃。 ガンが判明する前に私以外の家族は彼女に何度か会っていた。 私だけは、初対面だった。 入院しているベッドの上の彼女はそれでも綺麗だった。 笑顔で迎えてくれ、私の病気が良好に向かった事を喜んでくれた。 何を話せばいいのかわからなかった。 同情だけはだめだと言い聞かせた。何も言葉は出なかった。 言葉とともに涙が出そうでそれだけは避けたかった。 15分程の面会時間で終止父母と妹が話した気がする。 何を話したのかすら覚えていない。 それが、彼女の声を聞いた、最初で最後だった。 結婚してわずか1年半で彼女は天国へ行った。 まだ27歳だった。 二度目に顔を見たのは、彼女が天国へ行ったあとだった。 不治の病なんてなくなればいい。
by purl
| 2005-08-31 00:07
| アトピー
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